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広島地方裁判所呉支部 昭和28年(ワ)168号 判決 1960年10月10日

原告 片山和夫 外十八名

被告 国

訴訟代理人 越智伝 外四名

主文

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は「被告は原告等に対し各金五十万円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

第一、日本国は昭和二十年八月十五日連合国に対し降伏し、同年九月二日休戦協定締結の結果、米英軍を主力とする連合国軍は日本国土に進駐し、呉市等にも多数駐留して軍事占領に当つていたが、その間に次のような事故が発生し原告等が請求権を取得するに至つた。

(1)  訴外亡片山兼一(明治三十三年三月十日生)は、昭和二十年十二月十四日午後十二時頃呉市旧海軍工廠内第十七哨所において守衛として勤務中、米軍兵士に金品を強要され、拳銃で射撃されて胸部貫通銃創により即死した。同人の死亡当時の年令は四五、一七五年で、平均余命は二十六年一月、平均年収三万六千円、収入増加係数四、九四であるから、将来の総収入額四百六十四万千六百二十四となるが、その生活費月額三千三百九十一円で将来の総支出額百六万二千六十一円となり、差引金三百五十七万九千五百六十三円の純収益を喪失したが、死亡当時における現在価額はホフマン式計算法によると(以下同様)金百八十六万四千三百五十六円となり、右同額の損害賠償請求権を取得したが、その子である原告片山和夫はこれを相続した。

(2)  訴外亡岡部浅太郎(明治二十四年七月二十一日生)は、昭和二十一年十一月一日午後八時過頃後記(6) の池田照一と共に同市広町旧第十一海軍航空廠沖合海上の禁止区域外で漁獲中、陸上の英連邦軍兵士が慢然禁止区域内に入つたものとして自動小銃で射撃され、翌二日午前一時三十分頃同町大新開広共済病院において左大腿盲貫銃創等により死亡した。同人の死亡当時の年令は五四、二五年で平均余命一九、五年、平均年収四万八千円、収入増加係数九、九一であるから将来の総収入額九百二十七万五千七百六十円となるが、その生活費月額三千三百九十一円で、将来の総支出金額七十九万三千四百九十四円となり差引金八百四十八万二千二百六十六円の純収益を喪失したが、死亡当時における現在価額は金五百二十万三千八百四十四円となり、右同額の損害賠償請求権を取得したが、その子である原告岡部義敦はこれを相続した。

(3)  訴外亡奥本シゲ(明治二十九年二月二十日生)は、昭和二十二年四月四日午後九時頃同市広町字白石佃鉄工所前を通行中、英連邦軍兵士に暴行を受け脳実質出血等のため間もなく同所で死亡し、その夫である原告奥本末松は甚大な精神的苦痛を受け、その慰藉料は金五十万円が相当である。

(4)  訴外亡水間秀一(明治二十八年三月七日生)は、昭和二十二年一月七日午後七時頃同市旧海軍工廠内繋船掘附近において人夫として作業中、英連邦軍兵士が逃走する窃盗犯人に対し発射した小銃の流に当り頭部盲貰銃創のため即死した。同人の死亡当時の年令は五一、八年で、平均余命二一、三年、平均年収三万百八十円、収入増加係数四、九四であるから将来の総収入額三百十七万五千六百円となるが、その生活費月額三千三百九十一円で将来の総支出額八十六万六千七百四十円となり、差引金二百三十万八千八百六十円の純収益を喪失したが、死亡当時における現在価額は金百三十三万四千六百一円となり右同額の損害賠償請求権を取得したが、その子である原告水間潔はこれを相続した。

(5)  訴外亡織田雪江(大正七年十一月三日生)は、昭和二十三年十一月五日午前十一時三十分頃同市吉浦町魚見山随道附近路上を吉浦駅に向けて歩行中、飲酒酩酊した英連邦軍兵士の運転する貨物自動車にはねとばされ、同日午後三時五十五分頃同市吉浦町呉共済病院吉浦分院において脾臓破裂等のため死亡した。同人の死亡当時の年令は三九年で、平均余命三五、一年、平均年収四万五千円、収入増加係数一、六六であるから将来の総収入額二百六十二万千九百七十円となるが、その生活費月額三千三百九十一円で将来の総支出額百四十二万八千二百八十九円となり、差引金百十九万三千六百八十一円の純収益を喪失したが、死亡当時における現在価額は金四十七万七千四百七十二円となり右同額の損害賠償請求権を取得したが、その夫である原告織田実見は三分の一の相続分に応じ金十五万九千百五十七円余の右債権を相続し、又妻の死亡によつて精神的苦痛を受けたことは甚大で、その慰藉料額は金三十五万円が相当である。

(6)  訴外亡池田照一(明治三十三年十二月二十日生)は前記(2) の日時場所において岡部浅太郎と共に漁業中、前同様英連邦軍兵士から自動小銃で射撃され、同日午後十一時三十分頃前記広共済病院において左大腿盲貫銃創のため死亡した。同人の死亡同時の年令は四三、三三年、平均余命三一、四五年、平均年収三万九千円、収入増加係数九、九一であるから将来の総収入額一千二百十五万五千百十一円となるが、その生活費月額三千三百九十一円で将来の総支出額百二十七万九千七百六十三円となり、差引金一千八十七万五千三百四十八円の純収益を喪失したが、本訴提起の昭和三十年四月二十七日当時の現在価額は金五百五万八千三百十一円となり、右同額の損害賠償請求権を取得したが、その子である原告池田義和はこれを相続した。

(7)  訴外亡掘田良作(大正二年九月十九日生)は、昭和二十年十二月十二日午前九時頃米軍兵士の運転する貨物自動車の積荷の上に乗つて同市本通より旧海軍軍需部に至る路上の架橋の下を通過する際、右運転者は同所は架橋が低くて通過困難であるので、危害防止のためとるべき徐行、警告等の措置をとらなかつたため、右架橋に頭部を接触させ、同日午後五時四十分頃同市呉共済病院において頭蓋骨折のため死亡し、その妻である原告掘田ヤヱコは甚大な精神的苦痛を受け、その慰藉料額は金五十万円が相当である。

(8)  訴外亡足森勇三(大正十三年五月十三日生)は、昭和二十一年八月八日午後二時五十分頃同市幡磨造船第四船渠附近路上を通行中、同所が道幅が狭いのに後方より高速度で暴走して来た英連邦軍兵士の運転する貨物自動車にはねとばされ同日午後三時四十分頃同市呉共済病院において頭蓋内出血のため死亡した。同人の死亡当時の年令は二二、一七年で、平均余命四八、八七年、平均年収三万円、収入増加係数四九四であるから、将来の総収入額七百二十四万二千五百三十四円となるが、その生活費月額三千三百九十一円で将来の総支出額百九十八万八千六百十八円となり、差引金五百二十五万三千九百十六円の純収益を喪失したが、本訴提起の昭和三十年四月二十七日当時における現在価額は金百七十四万五千四百八十七円となり、右同額の損害賠償請求権を取得し母ハルがこれを相続したが同人も昭和二十九年四月十八日死亡し勇三の兄である原告足森村一がこれを相続し(他の相続人は相続を抛棄した)た。

(9)  訴外亡中西省一(昭和九年二月七日生)は、昭和二十四年三月十三日午後六時三十分頃同市本通一丁目呉ハウス附近三叉路の南西に通ずる路上を南に向け歩行中、南東に通ずる路上を高速度で暴走して来た英連邦軍兵士の運転する小型自動車が歩道上に乗上げたためはねとばされ頭蓋底骨折のため即死した。同人の死亡当時の年令は一五、一七年で、平均余命(昭和二十七年四月高等学校卒業予定時から起算する)五三、四四年で、平均推定年収(前同)八万四千円であるから将来の総収入額四百四十八万八千九百六十円となるが、その生活費月額(前同)三千三百九十一円で将来の総支出額二百十七万四千五百八十円となり、差引金二百三十一万四千三百八十円の総収益を喪失したが、本訴提起の昭和三十年四月二十七日当時における現在価額は金六十五万七千四百九十四円となり右同額の損害賠償請求権を取得したが、その父たる原告中西虎一郎は二分の一の相続分に応じ金三十二万八千七百四十七円の債権を相続し、文子の死亡により受けた精神的苦痛は甚大で、その慰藉料額は金二十万円が相当である。

(10)  訴外亡三崎貞(昭和四年一月十一日生)は、昭和二十三年一月二十日午後五時十分頃同市本通九丁目附近を自転車に乗車して南進中、後方から進行して来た英連邦軍兵士の運転する貨物自動車に突然追突され、間もなく同市泉場町の自宅において頭蓋底骨折のため死亡した。同人の死亡当時の年令は一九年で、平均余命五三、四四年、平均年収四万二千円、収入増加係数二、〇六であるから将来の総収入額四百六十二万三千六百二十九円となるがその生活費月額三千三百九十一円で将来の総支出額二百十七万四千五百八十円となり、差引金二百四十四万九千四十九円の純収益を喪失したが、本訴提起の昭和三十年四月二十七日当時における現在価額は金七十一万八千百九十六円となり右同額の損害賠償請求権を取得したが、その母である原告三崎クヨはこれを相続した。

(11)  訴外亡原為次郎(明治十六年八月十五日生)は、昭和二十一年十二月十九日午前九時頃同市阿賀町呉越附近路上を大八車を挽いて北進中、後方より高速度で暴走して来た英連邦軍兵士の運転する貨物自動車にはねとばされ、同月二十七日同市呉共済病院において頭蓋内出血のため死亡し、その子である原告原光明は甚大な精神的苦痛を受け、その慰藉料額は金五十万円が相当である。

(12)  訴外亡櫛田高一(明治十一年三月三日生)は、昭和二十年十一月四日午後四時頃同市旧海軍工廠会計課倉庫前防爆壁附近において、米軍兵士の運転する貨物自動車に乗車する際同車無警告で急に後退したため右自動車と右防爆壁の間に挾まれて同日午後八時頃同市呉共済病院において内臓損傷のため死亡し、その子である原告櫛田作次郎は甚大な精神的苦痛を受け、その慰藉料額は金五十万円が相当である、

(13)  訴外亡三木守(大正十二年八月八日生)は昭和二十一年五月二十一日午後四時五十分頃東京都芝区新橋一丁目附近交叉点を横断中、信号を無視して暴走して来た米軍兵士の運転する貨物自動車にはねとばされ、同日午後五時二十四分頃同都東京慈恵会病院において頭蓋骨折のため死亡した。同人の死亡当時の年令は二二、七五年で、平均余命四八、八七年、平均年収三万円、収入増加係数四、九四であるから将来の総収入額七百二十四万二千五百三十四円となるが、その生活費月額三千三百九十一円で将来の総支出額百九十八万八千六百十八円となり、差引金五百二十五万三千九百十六円の純収益を喪失したが、本訴提起の昭和三十年四月二十七日当時における現在価額は金百七十五万千三百五円となり右同額の損害賠償請求権を取得したが、その母である原告三木ツ子はこれを相続した。

(14)  訴外亡要田武男(大正八年十二月三日生)は昭和二十三年四月二日午前十一時頃呉市吉浦町魚見山随道内を自転車に乗車して東進中、後方より暴走して来た米軍兵士の運転する貨物自動車が運転を過つたためはねとばされ間もなく同町共済病院吉浦分院において脳挫傷等のため死亡した。同人の死亡当時の年令は二八、三三年で、平均余命は四四、五四年、平年年収三万円、収入増加係数二、〇六であるから将来の総収入額二百七十五万二千五百七十二円となるが、その生活費月額三千三百九十一円で将来の総支出額百八十一万二千四百二十二円となり、差引金九十四万百五十円の純収益を喪失したが、本訴提起の昭和三十年四月二十七日当時における現在価額は金三十二万七千五百七十八円となり、右同額の損害賠償請求権を取得したが、その父である原告要田徳助は二分の一の相続分に応ずる金十六万三千七百八十九円の債権を相続し、又子の死亡によつて受けた精神的苦痛は甚大で、その慰藉料額は金三十五万円が相当である。

(15)  訴外亡堤正一(明治二十二年十二月十七日生)は、昭和二十一年五月七日午前十時頃同市広町南横路一区、藤田モモ方前路上を荷車を挽いて進行中、後方より暴走して来た米軍兵士の運転する貨物自動車に突然はねとばされ同年七月十日午前十二時頃同町広共済病院において頭蓋内出血のため死亡した。同人の死亡当時の年令は五六、三三年で、平均余命一九、三二年、平均年収四万五千円収入増加係数四、九四であるから将来の総収入額四百二十九万四千八百三十六円となるが、その生活費月額三千三百九十一円で将来の総支出額七十八万六千百六十九円となり、差引金三百五十万八千六百六十七円の純収益を喪失したが、本訴提起の昭和三十年四月二十七日当時における現在価額は金二百三十万八千三百三十六円となり右同額の損害賠償請求権を取得したが、その子である原告提績はこれを相続した。

(16)  訴外亡森内一一(明治三十五年六月二十五日生)は、昭和二十二年八月十七日午後十一時頃同市阿賀町駅前路上を馬車に乗車して進行中、後方より暴走して来た英連邦軍兵士の運転する自動車が運転を過つたためはねとばされ、翌十八日午前一時頃同市広町大新開広病防において頭蓋骨折等のため死亡した。同人の死亡当時の年令は四五年で、平均余命二七、一九年、平均年収五万二十円、収入増加係数四、二三であるから将来の総収入額五百九十八万七百十二円となるが、その活費月額三千三百九十一円で将来の総支出額百十万六千四百十五円となり、差引金四百八十七万四千二百九十七円の純収益を喪失したが、本訴提起の昭和三十年四月二十七日における現在価額は金二百四十六万一千七百六十六円となり、右同額の損害賠償請求権を取得したが、その子である原告森内正明は三分の一の相続分に応ずる金八十三万五百八十八円の債権を相続した。

(17)  訴外亡掘川新一(明治二十八年十一月三日生)は、昭和二十一年五月二十日午前十一時五十分頃同市本通十二丁目附近を自転車に乗車して南進中、後方から暴走して来た英連邦軍兵士の運転する貨物自動車が運転を過つたためはねとばされ間もなく同市呉芸南病院において頭部挫創等のため死亡し、その妻である原告掘川ヤヱは甚大な精神的苦痛を受け、その慰藉料額は金五十万円が相当である。

(18)  訴外亡山崎忠吉(明治三十年十月二十日生)は、昭和二十二年二月十七日午後四時頃同市海岸通七丁目附近を歩行中、後方より暴走して来た英連邦軍兵士の運転する貨物自動車が運転を過つたためはねとばされ、同月十九日午前六時三十分頃同市呉共済病院において頭蓋内出血等のため死亡し、その妻である原告山崎イセヨは甚大な精神的苦痛を受け、その慰藉料額は金五十万円が相当である。

(19)  訴外亡丹波幸栄(明治三十八年三月二十日生)は、昭和二十年十一月二十七日午後一時三十分頃同市広町駅前附近を自転車に乗車して進行中、後方より暴走して来た英連邦軍兵士の運転する貨物自動車が運転を過つたためはねとばされ、同日午後三時頃同町大新開広共済病院において頭蓋底骨折のため死亡し、その妻である原告丹波ミキコは甚大な精神的苦痛を受け、その慰藉料額は金五十万円が相当である。

第二、以上の損害賠償請求権等は加害兵士及びその所属国に対するもので、その発生の根拠は次の通りである。

原告等の被相続人等は前記の如く連合国兵士の故意又は過失による不法行為によつて生命を侵害されたが、凡そ他国を占領する軍隊は被占領国住民の生命、財産等を尊重すべく、若し不法にこれを侵害した時は加害兵士及びその所属国は被害者の受けた損害を賠償し、又は近親者の蒙つた精神的苦痛に対し慰藉料を支払うべき義務があることは一八九九年陸戦の法規慣例に関する条約、一八六四年ジュネーブ赤十字条約、一九四九年戦時における文民保護に関する条約等の諸条約、国際慣例等によつて確立された国際法の基本原則であり、本件はポツダム宣言を実施するため連合国軍隊が日本を占領中生じた事故で、右国際法の原則及び日英、米諸国の国内法によるも不法行為であること明白であり、被害者及びその近親者が加害兵士及びその所属国(加害兵士の具体的行為が職務に関連すると否とに拘らず、右兵士の進駐占領自体が公務執行として国にその責がある)に対し損害賠償又は慰藉料請求権(以下両者を第一次請求権と称する)を取得したものである。

第三、ところが日本全権団は対日平和条約において原告等の右第一次請求権を侵害したから被告国は原告等に対し賠償義務がある。

即ち被告国の公務員である日本全権団は昭和二十六年九月八日米国サンフランシスコ市において連合国との間に対日平和条約を締結したが、その第十九条の項後段は「日本国は……この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する」旨規定し、これによつて擅に原告等の第一次請求権を放棄し、原告等の財産権を侵害消滅したが、右所為は日本全権団の故意又は過失による不法行為であるから、被告国は国家賠償法第一条により原告等に対し前記債権額相当の金員を賠償する義務がある。

第四、然らざるも被告国は原告等の財産権の侵害に対し憲法第二十九条による補償義務がある。

仮りに日本全権団が対日平和条約第十九条a項を承認調印し原告等の第一次請求権を放棄してその財産権を侵害したことが今次戦争を終結し可及的速かに日本国の独立を回復するため止むを得ない措置で不法行為とならぬとしても原告等の財産権は日本国の独立回復という公共の福祉のために用いられ消滅したことになるから、被告国は憲法第二十九条特に第三項「私有財産は正当な補償の下にこれを公共のために用いることができる」旨の規定(これは単に日本国の立法指針を掲げたのみでなく実定法として直ちに具体的権利発生の根拠となる)により原告等に対しその損失の補償をなすべき義務がある。(被告国は本件事故に関し別表記載の通り見舞金を支給しているか僅少であつて到底正当な補償とは云えない)対日平和条約にはイタリヤ等五ヶ国の平和条約の如き政府の自国民に対する補償義務を規定する条項を欠いているが、このことは単に被告国が原告等に補償することを連合国に対し条約上義務づけられていないことを意味するに過ぎず、もとより原告等に対する補償義務を免除したものと解すべきではなく、その補償義務の存否、範囲等は専ら憲法以下の国内法に基いて決定さるべきものである。

第五、よつて原告織田は損害賠償請求権の内十五万円と慰藉料金三十五万円の計五十五万円、原告中西は損害賠償請求権の内三十万円と慰藉料金二十万円の計五十五万円、原告要田は損害賠償請求権の内十五万円と慰藉料金三十五万円の計五十万円、その他の原告は前記請求権の内各五十万円の支払を求めるため本訴に及んだ次第である。

<立証 省略>

被告指定代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め、答弁並に抗弁として、原告主張の請求原因第一の事実中、加害兵士の故意、過失に関連する部分は争うが、その余の事実は認める。第二以下の主張は争う。この点に関する被告側の見解は次の通りである。

第一、原告等の第一次請求権の性質等について

仮りに加害兵士に原告主張の如き故意、過失があり職務執行外の個人の行為とすれば、今日の文明国の国内法上から兵士個人に対し私法上の損害賠償請求権が発生するが、これは後記の通り尚存続している。加害兵士の所属国の責任について国際法上のそれを仮りに肯定するとしても、国際法上個人が国を相手とする訴訟につきその機構がないので結局当該所属国の裁判所、従つてその国内法上の争訟手段を通じて請求する外がないところ、英米において職務執行外の公務員個人の不法行為(本件はこれに該当する。)について国家の賠償責任を認めた国内法がなく、結局これを実現する方法がない。本件においては加害兵士の氏名も不詳である事情も加わり、原告等の主張する権利は仮にありとしても権利実現の方途を欠く単なる観念的存在に過ぎない。

第二、被告国には原告等に対し国家賠償法第一条による賠償義務はない。

日本全権団が対日平和条約第十九条の項によつて放棄したのは、単に被告国又はその国民に対し、日本国民の受けた財産権等の侵害に対する損害賠償等を要求し、又はその国内法上の救済手段を与えられたい旨請求する権利所謂外交保護権のみであつて、仮にあるとしても原告等の第一次請求権を抛棄したものではない。放棄したすべての請求権というのは国民の請求権を基礎とする日本国の請求権の意である。而して外交保護権は国家固有の権利であつて諸般の外交上の考慮からこれを抛棄することは政府の裁量に属するところである。仮りに原告主張の如く原告等の第一次請求権をも併せ抛棄したと解しても、対日平和条約は日本国民の戦争終結、独立回復の念願に基いて締結され、所定の国内法上の手続を経て公布発効したものであつて、そのため原告等の財産権に消長を及ぼす結果となつても、日本全権団の右条約締結行為を目して故意、過失による不法行為と謂うことはできず、被告国には原告等に対する賠償義務はない。

第三、被告国には原告等に対し憲法第二十九条による補償義務はない。

仮りに原告等の第一次請求権が対日平和条約第十九条の項によつて抛棄され、原告等の財産権が日本国の独立回復という公共の福祉のために用いられたことになるとしても対日平和条約は憲法以下の国内法に優位する効力があるから、原告等は憲法の条項を採用して被告国に対し補償の請求することはできない。然らざるも、憲法第二十九条は単に立法の指針を掲記したものに過ぎず、原告等の財産権の侵害についてその補償の要件、効果等を規定する具体的法令が制定されていない以上原告等は被告国等に対し何等法律上の具体的請求権を取得するに由なく被告国には具体的補償義務はなく、仮りにそうでないとしても、右権利は前記の如く抽象的なもので憲法第二十九条の財産権に該当しない。仮りに百歩をゆずり右憲法の規定により具体的請求権が発生するとしても被告国は原告等に対し別表記載の通り一万七千円から七万円の見舞金を支給しており、本件請求権の性質、損害の時期、戦争被害補償の現況、我が国の経済力等からこれをもつて正当の補償というべきであり、又少く共これを算入すべきである。

と述べた。

<立証 省略>

理由

第一、本件における原告等の主張の要旨は、原告等の被相続人或いは近親者が連合国の日本占領軍隊の所属兵士により死に至らしめられたことから原告等の(被相続人の権利を相続或いは直接取得したもの(当該兵士及びその所属国に対する第一次請求権が発生したことを前提とし、この権利を被告国が平和条約において抛棄したとして、被告国に対する第二次請求権(国家賠償法第一条により予備的に憲法第二九条第三項によるという)が発生したというのであつて、この第二次請求権が本件の訴訟物である。

第一次請求権の発生の有無についても事実上、法律上幾多の解決すべき難問題(例えばかような場合いかなる法律が適用されるべきかが基本問題である。)が山積している。そこで当裁判所は仮りに原告等の第一次請求権が発生したとして原告等の主張する被告国に対する本件訴訟物たる第二次請求権が発生するか、否かについて先づ検討することとする。

第二、対日平和条約において抛棄した請求権の範囲について

原告等は対日平和条約第十九条a項によつて原告等の第一次請求権も抛棄されたと主張し、被告国は右条項によつて抛棄されたのは被告国が連合国に対して有する所謂外交保護権のみであつて、原告等の第一次請求権は含まれないと抗争するので考えると、第十九条a項は「日本国は戦争から生じ又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を抛棄し、且つこの条約の効力発生の前に日本国の領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を抛棄する」旨規定しており、後段にいわゆる「請求権」とはその当事者が明示されてないが、前段との文脈からみて「連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権」を意味し「すべての」とはその種類を明示していないが単に被告国の有する所謂外交保護権のみでなく、「日本国民の連合国及びその国民に対する請求権」をも包含するものと解するのが相当であり、結局後段の趣旨は「日本国は連合国に対して、連合国及びその国民に対する日本国の所謂外交保護権等の請求権及び日本国民の連合国及びその国民に対する請求権を抛棄することを約束した」という意味に解すべく、右見解に反する乙第十三号証(田岡良一の鑑定書)記載の見解は採用できない。而して対日平和条約は日本国内法の手続を経て公布、発効することによつて国内的効力を生じたから、原告等の加害兵士及びその所属層国に対する第一次請求権の如きものも消滅し、原告等の財産権は侵害されたものと謂わなければならない。

第三、被告国の国家賠償法第一条による賠償義務について

原告等は右財産権の侵害は日本全権団の故意又は過失による不法行為であると主張するが、凡そ敗戦国が戦勝国の国民の戦争から生じた損害の賠償請求権等を認めながら、自国民同種の権利を抛棄することは歴史上類例の多いところであり、一種の国際慣行とも謂うべく、両者か全く対等な立場で平和条約を締結することは殆んど不可能であつてポツダム宣言を受諾して連合国に対し無条件降服した日本国の全権団が第十九条a項を含む対日平和条約に調印したことは誠に止むを得ないところであつて、そのため原告等の権利に消長を及ぼすことになつても、全体として和解と信頼に基く対日平和条約の締結を目して日本全権団が故意又は過失によつて違法に公権力を行使したものと謂うことはできないから、被告国に対し国家賠償法第一条による賠償を求める原告等の請求は失当である。

第四、被告国の憲法第二十九条による補償義務について

原告等は仮りに日本全権団が対日平和条約第十九条a項を承認調印し原告等の第一次請求権を抛棄しその財産権を侵害したことが止むを得ない措置であつたとしても、原告等の財産権は日本国の独立回復という公共の福祉のため用いられ消滅したことになるから、被告国は憲法第二十九条特に第三項「私有財産は正当な補償の下にこれを公共のために用いることができる」旨の規定に基き原告等に対しその損失を補償すべき義務があると主張するので考えると、前段説示の如く我国は敗戦という未曽有の非常時態を収拾するため第十九条a項を含む対日平和条約を調印したものであつて、そのため原告等の財産権が侵害される結果となつても被害国は憲法第二十九条第三項によつて当然には原告等の受けた損失を補償すべき義務を有するものとは解せられず、又少くとも日本政府が自主的に本件の如き場合の損失に関する補償の要件、手続等を規定した特別法(阿波丸の見舞金に関する法律の如き)を制定しない限り右憲法の条項のみでは原告等の被告国に対する損失補償の具体的請求権は発生しないものと解するのが相当である。被告国が原告等に対して支払つた一万七千円から七万円の見舞金(その金額は略争がない)は政府の行政措置たる見舞金として交付されたものであつて、法律上の具体的支払義務を前提として支払われたものと解することはできない。

本件の如き場合の補償に関する特別立法の制定は他の厖大な一般戦争被害、在外資産の補償問題等とも関連し、我国財政負担能力の限度等を考慮して決定さるべき将来の立法政策の問題であるが、かかる特別立法が制定されていない現在では原告等が受領した見舞金以外に憲法第二十九条を理由として財産権侵害に基く補償を求める請求は許容できない。

第五、以上説示の如く原告等の各請求は孰れも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十三条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 辻川利正 幸野国夫 土井俊文)

別表<省略>

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